未来のために、先祖代々の味を絶対に変えない。『橋栄醤油みそ』が大切にする、日々の“あたりまえ”
金沢市大野町は醤油の醸造で有名な地域で、その歴史はおよそ400年もつづいているのだそうです。最盛期は60軒以上の醤油醸造業者が。現在も10軒の醤油蔵が立ち並ぶ、風情のある町です。
今回は、大野では”若手のほう”だという、昨年で創業100年の『橋栄醤油みそ』さんにお話をお聞きしました。

■左右にある「榮徳丸」「榮福丸」の旗は、創業者が北前船を操業していた頃に実際に使用していたもの。
「大野は港町だから、醤油の原料の大豆や小麦が手に入りやすかったようです。気候が醸造に適していることもあって、この地の産業として根付いていきました」
と教えてくれたのは、橋栄醤油みその4代目、橋本さん。
創業者はもともと北前船(江戸~明治期に運行されていた商船)の船乗り。しかしある日、海難事故であわや命を落としかける事態に。
「これからは地に足を付けた仕事がしたい」と、この地で醤油づくりを始めたのだと言います。

■「ときには冒険した商品も」と開発した、透明なのに醤油味のふしぎな調味料。
やるべきことを、しっかりとやる
代々伝わる醤油を守っていく一方、米と大麦を使ったグルテンフリーの醤油風調味料「すっぴんさん」など、新しい商品にも挑戦する同社。
「グルテンフリーやアレルギーフリーの食品は、海外ではもはや常識。外に目を向けるのも大切だということで、こういった商品にも取り組んでいます」
と橋本さんは言います。
「こうやって、現代人の変わりゆく食生活に合わせて変化させていくべきこともあります。
しかし、醤油の味を変えるつもりはありません。変えてしまうと、ご先祖様にも申し訳ないですから」。
「絶対に、一生変えない」とばっさり。しかし品質をより良くしていく努力は惜しまないと熱意をにじませます。
「日常の調味料ですから、やはり土台の部分の取り組みが大事。やるべきことをしっかりやっていく。見てもらえるのはそういう仕事ぶりだと思います」。

■加熱処理をしない“生みそ”。カップの中でも少しずつ発酵が進んでいきます。
木樽に住み着く「ご先祖様」
味噌づくりに使用する木樽は、なんと昭和初期から使い続けているもの。
「ずっと昔のことなのでわたしは知りませんが…きっと腕の立つ職人さんが作ってくれたんじゃないかな」
と橋本さんは言います。
「木樽には味噌の菌が住んでいます。わたしたちは”ご先祖様”と呼んでいるんですよ。
味噌の仕込みには毎回多少の揺らぎがあって、ぴったり同じ味になるものではないのですが、『これがわが社の味噌の味』と言える味には必ず仕上がるんです」。

■大きな木樽。なんと、一度に3トンの味噌が作れるのだそうです。
代々の歴史が染み込んだ、大切な木樽。どうやってお手入れをするのでしょう?
お聞きすると、
「きれいにしようと思って殺菌消毒のようなことをしてしまうと、味噌の菌も死んでしまいます。もちろん掃除はするんですけど、洗剤を使わずに丁寧に手洗いです」。
とのこと。なるほど、たしかに…。

■タンクに送られた醤油は、味のばらつきが出ないよう上下に攪拌します。
発酵文化の未来について
いま、日本の発酵食は世界中から注目を集め、大きなブームに。
「ほんとうに魅力的な文化。あまり注目されていない時代があったのが不思議なぐらいです」
と橋本さんは言います。
「今のわたしたちが当たり前にやっていることを、これからもしっかり続けること。それさえできれば、この独自の文化は決して絶えないと思っています」
と、これからの展望をお話してくださいました。
過去から未来まで長く続いていくものには、”当たり前の仕事“が根っこの部分に存在するものなのでしょう。そんなことをしみじみ感じるお話でした。

■発酵食品のある暮らしを。
<じのもんオンラインショップで販売中>
橋栄醤油みそ株式会社
076-268-2244
石川県金沢市大野町1丁目30
営/9:00~17:00
休/日曜、祝日、第2・第4土曜
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じのもんライター:中嶋 美夏子
大学進学を機に金沢へ。おいしい食べ物と暮らしに根付く美意識に感動し、日々探求しているうちにいつの間にか十数年が経ってしまった。人々のなにげない日常が撮りたくて、ちょっとしたお出かけでもいつもカメラと一緒。能登からやってきた保護猫とふたり暮らし。